「何もないからこそ美しい」。先日、この言葉について考えながら、僕が思ったのは、慌ただしい毎日の中でも心に余裕を持ちたい、ということでした。
何かを増やすことには、分かりやすさがあります。知識が増える。できることが増える。仕事が一つ進む。僕も、そういう変化はうれしいです。税理士として勉強したいこともありますし、仕事以外にもやってみたいことがあります。
だからこそ、何もない時間をそのまま受け取るのは、案外難しそうです。もし予定の間に十分空いたら、何に使おうと考える。スマートフォンを開けば、調べたいことも、読んでおきたいものも見つかるでしょう。十分の使い道は、いくらでもあります。
でも今の僕は、その十分を、最後まで何かで埋めなくてもいいと思ってみたいです。窓の外を眺める。お茶を飲む。少しぼんやりする。そんな時間にまで、立派な目的を用意しなくてもいいのかな、と。
たとえば、窓から差し込む光を見て、きれいやなと思う場面を想像します。そこから仕事のヒントを見つけなくても、学びとして一行にまとめなくても、そのとききれいだと感じられたら、それで十分。そういう過ごし方を、僕自身がもう少し許してもいい気がします。
ここまで書くと、ずいぶん落ち着いた人の文章になりましたが、僕はまだ「そうありたい」と思っているところです。落ち着いて過ごせる時間を、これから少しずつつくっていきたいです。慌ただしい中で心に余裕を持ちたいから、まず自分がどんな時間を欲しがっているのか、言葉にしてみています。
考えてみると、休む時間にまで課題を持ち込んだら、忙しさはなかなか終わりません。「この時間で気持ちを整えよう」「休んだ分だけ次は頑張ろう」と決めることにも良さはあります。ただ、お茶を一杯飲むたびに結果を求めるのは、ちょっとせわしないですね。
僕が今試してみたいのは、一日のどこかでお茶を飲むとき、スマートフォンを手に取らずに、まず一口飲んでみることです。何分と測らず、良い気づきがあったかも採点せず、温かいな、おいしいなと思いながら飲めたらうれしいです。
途中で仕事のことを思い出す日もあるでしょう。そんなときまで、余裕を持てなかったと反省するのはやめておきたい。思い出した用事は必要に応じてメモして、またお茶を飲む。そのくらいの気軽さで始めたいと思います。
「何もないからこそ美しい」という言葉から、今日はこんなことを考えました。空いているところを見ると、何か置きたくなる。空いている時間を見ると、何かしたくなる。その手を少し止めて、今あるものを眺めてみたいです。
次のお茶の時間は、湯飲みを持って、ひと息。何か良いことを書こうとするのも、その間はお休みにしてみます。

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